ABKLOG

白髪混じりのブルーズ

曖昧な暮らし

 

前回の記事からまた長いこと日が空いてしまった。

継続は力なり、ということわざを昔から至るところで耳にたこができるほど聞かされ続けてきたというのに、何かを続けてこられた試しはない。多く見積もっても片手で足りるくらいだろう。

今まで手を出してきた趣味めいた物事は多々あれど、それらの多くは気付いたときには手元を離れていて、どこで落としたのか皆目見当もつかない。拾いに行こうにもどうやら時既に遅し。仕方がないから諦めるほかない。

どこでそうなってしまったのか、それを思い出すことは今となっては叶わないが、生活はいつからか、実生活はともあれ精神的にはまるで地に足がつかないものに変わってしまった。

空を飛ぶような暮らし、落下して地面に激突してしまわないように、空中で飛行機から飛行機に乗り換える綱渡り。地表には乗り捨てた飛行機ががらくたとなって鈍く光っている。

空は子どもにとって唯一息の出来る場所で、陸は大人が生活する場所だ。陸は大抵の場合は安寧で、ある意味では楽とも言えるが、一度でも降り立てば雑多な責任が降りかかってくる。とはいえ、空に比べれるまでもなくずっと健全で全うな場所であることに違いはない。時折、このまま落ちてしまおうかという考えが頭を過ぎるが、何故だか二の足を踏んでしまう。

しかしながら空に居続けるのも気が滅入るもので、いつだか身を投げ出したことがあった。そのときのことはよく覚えていないが、きっと無意識のうちに装着していたパラシュートが作動して、浮き上がってきた気球にでも命を救われたのだろう。そうして落ちる絶好のタイミングを逸して、それからまた空を飛ぶ日々だ。

やはり、真っ逆さまに落下したほうがいくらかマシだったかもしれない。心は強くならないままでも、いつまでも子どもでいられる道理にはならない。散らかした玩具を片付けてくれる大人たちはもういないのだ。そろそろ僕のいる空よりもっと高くへと上がって消えてしまうだろう。

ふと周りを見渡してみると、見知った顔は随分と減っていた。下に目を遣ると、どうやら彼らの大多数は地に足をつけて暮らすことを選択したようだ。上空から眺める彼らの表情は、それぞれに多少の違いはあれど、随分と穏やかに見えた。中にはやむなく着陸した者もいたようだけど。

たまに天気が良ければこうして周囲の様子を確認することもできるが、最近はどうにも暗雲立ち込める空模様だ。一寸先は闇、暗中模索の様相を見せている。代わりの飛行機も、見知った顔も見当たらない。燃料計はとっくに壊れているから、あとどれくらい飛べるのかも分からない。それでも、それ以外やることが何もないのだ。タンクが空っぽになるまで、飛び続ける以外にやることがない。

シートに身を預けて、いつか燃料が尽きて落ちるときのことを思い浮かべる。先のことなんてまるで想像がつかないけれど、不時着だけは御免被りたいなと思う。