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白髪混じりのブルーズ

靴を履く

スニーカーのソールが取れそう、そんな同僚の発言から靴の話になった。

僕はスニーカーを一足しか持っていない。数年前に購入した、無印良品で販売されていたコンバースもどきは、ほんの数回履いてそれきりだ。それ以外はマーチンのブーツだけ。スニーカーって、履くのが面倒くさい。紐の下にある、足の甲に当たる部分を持ち上げてから履かないと靴の中で収まりが悪くなるし、そうするためには屈まなくてはならないわけで、やはり面倒だなと思う。

その点、愛用しているマーチンの3ホールは優秀だ。形が崩れにくいから屈まずに履けるのだ。軽い割に厚みのあるソールもいい。僕はこれに慣れ過ぎたためか、コンバースなんかの薄いソールの靴を履くと不安で仕方なくなる。砂利の上ならともかく、アスファルトの上なら別にいいんじゃない?と同僚に言われたが、そんなことはない。アスファルトに鎮座する小石を見たことはないか。あれを気付かずに踏みつけてしまったときの恐怖たるや、筆舌に尽くしがたいものがある。そんなことで怪我はしないけど、あのダイレクト感が怖くてたまらないのだ。スーパーマリオでのファイヤーマリオ状態がマーチンだとすれば、コンバースはノーマルマリオだ。一度ミスしたところでまだ死なないが、ファイヤーマリオのぬるま湯に浸かり切った僕には、ある種のセーフティーを失った状態に等しく、それは精神衛生上よろしくない。もちろん、コンバースを否定しているつもりはない。僕の好みとは違うってだけで。

さらにマーチンの良いところを挙げるとすれば、あのフォルムだろうか。3ホール、8ホール、サイドゴア、ステッチの有無……。ブランドの歴史やモデルに対して造詣が深いわけではない。そんな身分で語るのも気が引けるけど、3ホールのステッチ有りは大概どんな服装にも合うし(色違いで2足持っている)、フォーマルに合わせたいならステッチ無しの黒、ハードに行きたいなら8,10ホールがぴったりだし、冬場には脱ぎ履きしやすいサイドゴアもよく似合う。だから僕は季節を問わず、まるで大学生みたいだなとも思いつつ、一年中マーチンのブーツを履いている。自分の言葉でどこが気に入っているのかを説明できるから、つまりそれなりに好きだという証なのだろう。

そんな愛用しているブランドが、例えば何か不祥事を起こしたとして、僕はどんな気持ちになるのだろうか、ふと想像してみる。その状況になって、第三者から「なぜマーチンの靴を履いているのか?」と聞かれたとき、僕はきちんと答えられるだろうか。理路整然とした自分の言葉が出てくるだろうか。「なんとなく……」なんて解像度の低い回答をしてしまう気がする。そもそも仮定の話だし、頭では考えすぎだと分かっていても、ここ最近は何事においても、そんな軽さは許してくれない、大多数が認める確固たる正当な理由が無ければならないような、世の中の圧力めいたものを感じてしまう。SNSやメール等の記録として残るものに留まらず、ちょっとした会話であっても、適さないと判断された発言ひとつで命取りになる時代。多様な価値観というやつはもはや人間よりもずっと偉い。それに抵触した瞬間、人格は否定され、尊厳は失われる。赤信号を無視した奴はみんなで叩けば怖くないのだ。そういう意味では、現代は瑞々しい豊かさとは程遠い、乾燥が酷くなるばかりの季節だ。雪国の夜のようなしん、と静まりかえったものではない、北風が吹き荒ぶような。口を開けば火の手が上がり、黙っていても煙が立つ。なるべく矛盾が無いようにしなければ……ただのひとつでも綻びがあれば、鬼の首を取りたくて仕方ないインターネット鬼殺隊は、決してそれを見逃してはくれない。インターネット炭治郎が、「逃げるな卑怯者!!」と叫びながらやってくるのだ。鬼滅の刃の無限城決戦における炭治郎と無惨のやり取りの中で、無惨は心底もう疲れた、という旨の発言をしているが、僕もまさにそんな気持ちで、あちこちに上がった炎をただただ見ている。確かに彼らは赤信号を渡ってしまった。しかし、それだけでこんなにも燃えるのだろうか……。僕は直接関係していないから(あるいはその自覚がないから)、そんな風に思ってしまうのかもしれない。「自分ごととして考えて」なんて言われたらどうしよう。スカイ・クロラ函南優一のモノローグが頭をよぎった。

(前略)ボールの穴から離れた僕の指は、今日の午後、二人の人間の命を消したのと同じ指なのだ。僕はその指で、ハンバーガも食べるし、コーラの紙カップも掴む。こういう偶然が許せない人間だっているだろう。(中略)意識しなくても、誰もが、どこかで、他人を殺している。押しくら饅頭をして、誰が押し出されるのか……。その被害者に触れていなくても、みんなで押したことに変わりはないのだ。(中略)自分が踏ん張るのは当然のことだから。しかたがないことなんだ。

引用元:森博嗣(2004) スカイ・クロラ(中央公論新社) p.245~247より

軽口のつもりが笑えない冗談になる。無意識の発言が誰かを傷付ける。逆もまた然りで、悪意なく踏みにじられることだってある。当たり前のことで、自分と他人とでは、受け取り方が違う。それを解消する方法はあるのか?突き詰めようとしても、要因が複雑すぎてみんなが納得できる答えなんて出ないだろう。だからと言って多数派が全てとも思えない。落ち着くべきところは白黒はっきりつけない、曖昧なグレーゾーンではないかとも思うけど、臭いものに蓋をしているだけではないかとも思うし、やはり決着を付けたがる人もいるし、寛容が唯一許せないものは不寛容だし、考えは堂々巡りだ。

それでも、生きている限りはどうにか火の手を掻い潜りながら、何とか歩いて行かなくちゃならない。覚束ない足元を隠すように、僕はマーチンのブーツに足を入れた。