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白髪混じりのブルーズ

命の重みと尊厳


目が覚めて部屋のカーテンを開けると、世界は一晩で白く塗りつぶされたようだった。年末年始に雪国である実家に帰省した折には終ぞ見ることのなかった量の積雪が眼前にあって、ついうなだれてしまう。

雪の降らない土地を求めてこの街へと越してきた僕の目論見は6年連続で外れている。フィクションの世界ならいざ知らず、現実に降る雪はどうにも好きになれない。降雪による諸々の面倒もそうだが、どうにも真綿で首を絞められるような、救いのない閉塞感に包まれるような心持ちになる。

支度を済まして自宅を出る頃には、雨で融け出した雪が平坦なアスファルトをさながらぬかるんだ泥道に変えていた。歩くだけで一苦労、という久しぶりの感覚に思わず舌打ちが出てしまう。けれども、今の僕にはこれくらいがちょうど良かった。いつも以上に労力を浪費して、身体を動かさねばならない理由があったのだ。

 

実家にあって自宅にないテクノロジーの一つに体重計がある。体重計―――それは僕らが健康で文化的な最低限度の生活を送るにあたって絶対的な基準になり得る欠かせないマストアイテム。多くの人がそのディスプレイないし針先が指し示す値に一喜一憂してきた、正確に事実を突き付けてくる存在。

一切の意思も感情も介在しない機械仕掛けの薄板に、ある意味では生殺与奪の権利を奪われているといっても過言ではない。

その数値は、生活を支配する。

 

年末年始の話をしよう。 

実家に帰省すると、家には誰も居なかった。どうやら全員出払っているようだ。それはつまり暖房器具が稼働していないことを示している。

部屋が暖まるまでの間、手早く身体を温める方法はないか、白い息を吐きながら考える。

ロシアでは寒いときウォッカを飲んで身体を温める、いつか聞いた話を思い出した僕はおもむろに冷蔵庫の扉を開け、容量一杯を埋め尽くす銀色の円筒の山から一本を取り出した。プシュッという気持ちの良い聞き慣れた音にまるで帰省したことを祝福されたような錯覚を覚える。しかし、これはその後の堕落を引き止める最初で最後の警告音であったことに僕はまるで気付いていない。

 

実家での生活は中々に快適だった。

本来の主を失ったキッチンはがらんどうとしていて、冷蔵庫の中身は大量のビールで溢れるばかりだったが、その代わりにたくさんのツマミやらお菓子類、保存食等が備蓄されていた。

こたつにすっぽりと身を入れ、右手に餅、左手にビール、眼前にはたくさんのツマミやお菓子類、食べたくなったら食べ、眠たくなったら眠り、飼い猫に素っ気ない対応をされては親戚の持ってきた日本酒で酔い潰れ、また食べる。それは緩やかに死んでいく街に突如として現れたユートピアそのものだった。

 

帰省最終日の風呂上り、ふと体重計が目に留まった。旧態依然とした生活ぶりな実家に似つかわしい旧型のそれに、帰省初日以来乗っていないことに気付く。実家での生活を振り返ると現在の体重が気になるのは事実だが、帰省期間中のほとんどをこたつで過ごした僕にとって風呂上がりに冷々たる脱衣所で体重計に乗るなど即ち狂気の沙汰である。しかし今を逃せば体重を計る機会は4ヵ月後の健康診断まで失われてしまう。葛藤の末に意を決して体重計に足を置く。ゆっくりと動き出した目盛りは数日前の数字を大きく超え、ようやく止まった赤い針が指すのはここ数年で僕が初めて目にする数値だった。

 

Uターンラッシュが始まった新幹線の乗車ホームは、穏やかな田舎の冬とは打って変わって、列車を待つ人々の苛立ちで溢れ返っていた。   

座れる可能性には目もくれず、到着したばかりの列車に足を進める。例年通り指定席券を購入しなかった僕が座席に着くことは許されない。それに加えて今年は余計な荷物も腹回りに携えている。せめてもの懺悔として3時間立ちっ放しの怒りのデスロードを甘んじて受け入れ、ユートピアでの生活は終わりを迎えた。

 

 

個人的今年の十選

Owletsにお呼び頂いた川越でのスタジオライブにて今年のバンド活動も終え、TVアニメごちうさ2期も最終回を迎えてしまった。

 

年も暮れである。

年末が差し迫ってくるにつれ、幼少期からの刷り込みのおかげか「今年もいろいろあったな」と振り返られずにはいられない。そしていざ振り返る段になって、本来思い出すべき事柄も忘れて、さして重要でもない出来事を懐かしんで新年を迎えることになるのは僕だけだろうか。

 

思い出すべきことを忘れたままで僕が振り返るのは今年グッときた10曲である。

選考基準として、購入後一定期間聞き狂ったものをグッと来たという判定にしている。また、今年リリースされたものからリストアップすることにした。そうでないと大半が7,80年代の歌謡曲で埋め尽くされてしまう。

せっかくなのでどこにグッときたのか、その理由も書き残しておくとともに公式の動画があるものはそれも紹介していきたいと思う。それでは主観と偏見に塗れた、支離滅裂でトンチキなコメントとともに十選を振り返ってみよう。

 

1.Moment/ジョゼ

1stフルアルバム「sekirara」収録の曲である。

耳を傾けたとき、浮かんできたのは冬特有の遠く高い空と誰もいない海辺だった。どこまでも青く、ただただ綺麗で、どこか無機質な情景が想像できる。「死ぬまで掬っては溢れるモーメント 集めて失い続けていこう」というフレーズの何と美しいことか。切なげながら芯のあるボーカルと、それに有機的に絡み合う演奏は好きな人なら悶絶ものであろう。僕は幾度となく繰り返し悶絶し、そして聞き終えた後にどうしてか少し寂しい気持ちになるのだ。

個人的には早朝の国道134号線を車を運転しながら聞くのが心地よい1曲である。

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2.PSYCHO-PASS(Movie Mix)・PSYCHO-PASS feat.AKANE(Movie Mix)/菅野裕悟

2曲だがこれで1セットという強引な解釈をさせてもらう。「PSYCHO-PASS」TVアニメシリーズ1期・2期でお馴染みの本作のメインテーマとも言えるトラックの劇場版用ミックスである。劇中では主に容疑者逮捕等の話が動き出すときに使用されており、これがまたとにかく最高にブチ上がるのだ。

サントラの強みは物語を容易に想起できる点にあるのではないだろうか。人声を介さないそれは、歌ものの比ではないように思う。この2曲を聞けば、僕はいつだってPSYCHO-PASSの世界を追体験できるような気がするのである。

さらにどっぷりとPSYCHO-PASSの世界観に浸かりたい場合は、夜の首都高辺りをグルグル回りながらこの2曲を無限ループするのがいいだろう。パナソニック製ETC車載器があればよりベターだ、最高にブチ上がること請け合いである。尤も、(比較的緩い方であるとはいえ)あんなディストピアな世界は御免被りたいものではあるが。

 

3.Hello,world!/BUMP OF CHICKEN

TVアニメ「血界戦線」OPである。 

改めて思うのは、このバンドは作品に曲を寄せるのがべらぼうに上手い。ここまで来るともはや匠の域で、それはまさに職人芸という他ない。

(個人的には一番思い入れのある)TALES OF THE ABYSSというRPGの主題歌も担当していた同バンドだが、その曲でもバンドらしさは損なわず、且つ作品のテーマを見事に表現していた。10年程前、その曲の歌詞で盛大にネタバレを食らったことを今でも鮮明に覚えている。ともあれ、その手腕は今作でも大いに発揮されているというわけだ。

サントラ楽曲の強みが物語を想起させる点にあるならば、歌もの楽曲の強みはリスナー側(しいてはその物語に触れているとき)の記憶を想起させる点ではないだろうか。

血界戦線のあらすじについては各自で参照して頂くとして(TVアニメと漫画原作ではストーリー展開が異なる部分がある)、この曲は主人公レオナルド・ウォッチと次元を隔てた僕らとが共有する覚悟の歌ではないか、と思う。

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4.シュガーソングとビターステップ/UNISON SQUARE GARDEN

続いて血界戦線のEDテーマである。 

最近のユニゾンに関しては人気アニメの影にユニゾンあり、もしくは田淵智也あり、くらいにアニメタイアップをしているイメージがある(あくまでもイメージ)。

前述のOPが覚悟の歌とするならば、こちらは劇中の舞台であるヘルサレムズ・ロッドで過ごす主人公たちの等身大の姿を描いた曲のように思う。いくら超人的な力を持った彼らでも泣いたり笑ったり、そこに普通の人間との差異は何もない。

「生きてく理由をそこに映し出せ」という一節は、画面の向こうの主人公たちだけでなく現実に生きている僕らの背中をも押してくれる。

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5.SUNNY DAY SONG/μ's

ラブライブ!-school idol movie-でお披露目された曲で、言うなれば劇中で一大シーンを築き上げたインディ・ヒーローたるμ'sのスクールアイドル界における金字塔的楽曲である。僕はこの曲とAngelic Angelを聞きたいがために3回劇場に足を運んだと言っても過言ではない。

この曲の一番の魅力とは圧倒的なまでに溢れ出る希望ではないだろうか。ネタバレになってしまうが、劇中でこの曲を歌っているときμ'sの解散は既に決まっている。なのに悲しさとか寂しさとか、そういう湿っぽさはこの曲からは微塵も感じられない。全てを受け入れた上でひたすらに未来を歌う、これを希望と言わずして何と言うのだろう。

蛇足になってしまうが、2Aメロの「三歩目は大胆に」でローアングルで映し出されることりの脚と、落ちサビの穂乃果ソロの「Ah!」の最後のリバーブの掛かり具合に妙な色っぽさを感じてしまう。

 

6.STONEFLOWER/中田裕二

年を重ねるにつれ色気を増していく中田御大による最新の歌謡曲である。椿屋四重奏時代から追い続けているが、曲中で描かれる登場人物の心情の機微、楽曲の構成力、そして拭い切れない喪失感と、それでも何かを得ようとする、その様の描き方は他と比べ群を抜いているように思う。時代錯誤感も群を抜いている。

この曲も同様だ。加えて、どこまでも孤高で、陰がある。不思議と言うべきか当然と言うべきか、それはときに現代を生きる僕らとリンクする。

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7.バラライ/GRANRODEO

ベストアルバム「DECADE OF GR」収録の曲である。

僕はTOKYO MXの深夜帯の番組をそこそこ見るのだが、CMに入る度にこの曲が流れることが多分にあった。「ま~たKISHOWさんですか~」とあまり真剣に聞かずぼんやりと流し見する程度で、なんなら繰り返し流されるそれに少し苛立ちさえ感じていたくらいだ。

ある日、渋谷を歩いているときにふと顔を上げると、街頭ビジョンにそのCMがでかでかと映し出されていた。何の嫌がらせだろうと思った。しかしながら僕はこの曲を購入してしまう。

昔からよく言うものだ、愛の反対は憎悪ではなく無関心だと。興味が無いのならわざわざ気に留めさえもしないのだ。つまりこれは、気に食わないと言いながらもこの曲のことがどこか気になっていたという証左に他ならない。

曲に関して言えば、ちょっと力抜いて楽観的に生きてこうぜ、というメッセージを感じられる、聞いていて気持ちのいい曲である。

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8.FULLBODYのBLOOD/The Birthday

8thアルバム「BLOOD AND LOVE CIRCUS」の1曲目を飾る曲である。

中田御大が時流に逆行しているというならば、このバンドも大概である。しかしながら、このバンドがいなかったなら僕は今頃日本のロックンロールを聞いてはいなかっただろう。

ひたすら1フレーズ、1グルーヴで構成されるこの曲はセッション的な要素を大いに感じる。......身も蓋もないことを言ってしまうと、僕はこの曲がただただ好きなだけなのだ。そこに取ってつけたような理由は必要ないとさえ言い切れる。

それでも言わせてもらえば、より深みを増したチバユウスケの声、フレーズごとの的確さ、音色、どきりとする歌詞、どこを取ってもこの上なく最上級なロックンロールである。

ミーハーと呼ばれても仕方のないことかもしれないが、この時代にこのロックンロールが存在する、それだけで僕はとてつもなく嬉しくなり、ギターを弾きたくなるのだ。

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9.打ち寄せられた忘却の残響に/TECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUND feat,大竹祐季

TVアニメ「櫻子さんの足元には死体が埋まっている」EDである。

僕は原作には目を通していないのだが、TVアニメを見るに「過去に囚われたモノたちへ贈る物語」らしい。

OPが未来を向いた曲であるのに対し、こちらは過去に視線を向けた曲のように思う。劇中で登場人物たちが囚われる過去への胸中が凝縮されているかのようだ。

儚く綺麗で、しかし底の見えない深淵から流れ出すその残響に触れることは決して叶わない。

非常に美しい曲だと思う。

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10.ノーポイッ!/Petit Rabbit 's

TVアニメ「ご注文はうさぎですか⁇」OPで、もうこの曲に関しては言うことなしである。

4:04の尺の中、人声のないパートは30秒間ほどの間奏のみ(厳密にはイントロの歌い出し後に1秒ほど、アウトロで2秒ほど人声のない箇所がある)、ときには合いの手を入れてまで歌が途切れることを許さない徹底ぶりは、僕らを木組みの家と石畳の街というユートピアへと誘う現代の般若心経そのものである。

あぁ^~心がポイポイするんじゃぁ^~、投げ出さない、ポイって今日を投げ出さないんじゃぁ^~

 

 

 

改めて振り返ってみると、なかなかどうしてアニメ関係に寄ってしまっているのが分かる。

来年は、聞くジャンルの幅を広げていきたいものだ。

 

 

 

 

 

 

木組みの家と石畳の街で暮らしたい

今年の5月にブログを始めたのが酷く遠くに感じる。最後に文章を書いたのは7月のsceneツアーファイナル時に頒布したパンフレットに掲載した、文字数だけは立派なアレ、あのときである。

原本を残していないため何を書いたのかを詳細に思い起こすことは今となっては叶わないが、内容の半分近くをラブライブ!に関する記述で埋めてしまったことだけは鮮明に覚えている。バンドのパンフレットだというのにだ。

思い返せば5月下旬から7月上旬にかけての一月半はツアー(ライブ自体は5本しかやってないけど)とラブライブ!劇場版が同居する身もただれるような熱い期間であり、その季節が過ぎたころ、何か文章をしたためる等のエネルギーを要する作業が不可能だったのは至極当然のことだったのである。

それ以来すっかりブログの存在を失念してしまい、凍えるような寒さに夏が恋しくなっていたとき、筆を置きっ放しにしていたことを思い出した。そして今こうして書き綴っている次第である。

 

キーボードを叩きながら考える「なぜこんなことをやっているのか」という問題は袋小路に入ってしまった。

このブログは、例えば料理の美味しいお店や暮らしの助けになるような情報を掲載するものではなく、本来は自分の中で折り合いをつけねばならないものを垂れ流すだけの内容だ。誰に頼まれたわけでもないのにそれをやる成人男性というのは、少し俯瞰すれば些か応えるものがある。

しかしながら、考え込んだところで思考は堂々巡りするばかりで、つまるところ役に立たないものは愛するほかはないのだ。

 

それでもどうしてもやりきれなくなったとき、僕は1つの作品を視聴する。今季絶賛放映中のTVアニメ「ご注文はうさぎですか?」である。

癒し、可愛いといったそんな言葉なんかはとうに飛び越えた、もはや愛だ。見る前に何か特別なことをする必要はなく、身体をモニターの前に投げ出すだけ、ただそれだけでいい。その中毒性は永遠に逃れられないものであり、TVアニメから入った僕のようなにわかでも存分に楽しめる懐の深さは、山より高く海より深い慈愛に満ちている。

日常ともファンタジーともおぼつかない緩すぎる世界観に脳内を液状化させられた後に、遠い遠い、決して行きつくことのできない木組みの家と石畳の街に思いを馳せ、思考を停止して僕は眠りに就くのだ。