ABKLOG

白髪混じりのブルーズ

そんなの誰だって知っている

先週の話。

 

ふと目が覚めた。

夢の内容は急速に霧散していく。すごく楽しい夢だった気がしたけど、視界がクリアになる頃には、海があった、くらいしか覚えていなかった。

数日前から調子の悪い喉は、ちょっと期待したけれどまだぐずついている。

時刻は1時前。夢の続きを見ようにも、眠気はちっとも無かった。こんな寝覚めの良さは年に一度有るか無いかだから珍しい。

どうしようか少し考えて、海が見たいと思った。

 

車を持っていて良かったと思うことの一つに、時間を問わずに移動出来る点が挙げられる。

替えたばかりのタイヤは、快調な様子で僕を運んでくれる。普段は移動式の喫煙所みたいな扱いをしているから、たまにはこうして役目を思い出させてあげないといけない。

窓を僅かに開けて、煙の通り道を作ってやる。カーステレオとロードノイズの比率は7:3で、これが僕の中での黄金比。何事も、多少雑多なものが混じっているくらいがちょうどいいと思うんだけど、そういうことを理解出来ない、0か1かでしか判断出来ないような人間も少なからずいる。

 

いつだったか、経緯は忘れてしまったけど、ある知り合いを一度だけ車に乗せたことがあった。あまり親しくはなくて、いくつかプロフィールを知っているくらいの人間だった。

喫煙者だという話を聞いていたから、灰皿はダッシュボードの中に入ってるからお好きにどうぞ、とだけ言って僕が煙草を吸い始めると、そいつが渋い顔になり始めた。話を聞くと、どうやら少し前に煙草を止めたらしい。

煙草を止めてからこんなに体の調子が良くなった、ご飯が美味しくなった、財布の負担が軽くなった、水を得た魚のように、そいつは禁煙して良かったことを黄ばんだ歯で語りだす。適当に相槌を打っている内にどんどんヒートアップしてきて、煙草も喫煙者も害悪である、というところにまで話が及んだ。そこで言葉が途切れたので、ご高説はもう終わりかな、と思っていると、僕を一瞥してから、同乗者がいる車内で喫煙するのは有り得ない、とそいつは口にした。思わず窓を全開にした。そこからはロードノイズで聞こえないふりをして、目的地まで無言のドライブだった。我ながら大人げない、子供じみた対応だったと思う。

きっと一部の人間は、煙草を止めると優しさとかそういうものが煙のように消えてしまうのだろう。そして、吸っていた過去もまるで無かったことにして、全て自分が正しいみたいにものを言うんだ。そんな奴らは、吸い終わった後で底に沈殿する汚れと何ら変わりない。そうなるくらいだったら、吸い続けている方が幾分ましじゃないか。

 

自宅から南下して1時間程で、海が見えてきた。

車から降りて、カーディガンを羽織る。もう夜は肌寒い季節になっていた。海辺に向かって歩きながら煙草に火をつけると、やはりいつもと違う味がした。コンクリートと砂浜の境界に設置されている街灯の下で立ち止まる。辺りを見回しても、人の気配は窺えない。風が出てきて、カーディガンの裾をひっきりなしに揺らしていた。

煙草って便利なものだ。体調を計るバロメーターにもなるし、風向きだって分かる。これを知ったら煙草を止めていった人間たちはまた吸い出すかな、考えて馬鹿馬鹿しくなる。こんな側面さえ分からないから、あいつらは煙草を止めたんだろう。

目が慣れてきても、海面の様子はよく分からなかった。半年前、昼間に来たときはあまり綺麗じゃなかったから、おそらく今も変わらないだろう。

そちらの観察は諦めて、波打ち際を散策する。波の音で世界が埋め尽くされたような錯覚に陥る。ふと足元に視線を落とすと、たくさんのゴミが捨てられていることに気付いた。空き缶やペットボトル、菓子の袋、花火の残骸……何よりも多く捨てられていたのは煙草の吸殻だった。また馬鹿馬鹿しく思えてくる。そりゃあ世間から爪弾きされちゃうわけだ、煙草吸いなんて。矜持も何もあったもんじゃない。こんなことなら僕も煙草を止めてやろうか、一瞬本気でそう考えたけれど、そんな未来はまるで想像出来なかった。

僕はいつだってどこだって、気の向いたときには煙草を吸いたくなる。けれど、世の中は必要な、或いは全く馬鹿らしいルールやマナーでがんじがらめにされてるからそうもいかない。

確かに映画館で、レストランで、エレベーターで、目の前で煙草を吸われたら不愉快な人はたくさんいるだろう。けれど、掃き溜めしかいない深夜の駅前で、人っ子一人通らない田舎道で、昼間でさえ誰も来ない公園で、煙草を吸われたら許せない人っているんだろうか。人混みで圧し合う大通りで自撮りしてる人間の方がよっぽど邪魔なように思う。

 

こんな生産性のないことを心の中でいくら考えても、喫煙者がマイノリティであることも、煙草が人体に有害であることも何も変わりはしない。まして喫煙者と非喫煙者が理解し合えるわけでもない。ならせめて、僕が何のやましさも感じることなく、煙草を吸える世の中にならないかな、携帯灰皿に吸殻を押し付けながらそう思った。