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白髪混じりのブルーズ

モーターサイクル

何の根拠も裏付けも、統計を取っていた訳でも無いのに、今年に入ってから何となく忙しなさを感じていた。今はようやく、何だか急いでいた夏が終わって、これまで全く気にならなかったのに、まるでシェイクしたみたいな自分の部屋を見て、ああ、きっと忙しかったんだろうな、と思えるくらいには落ち着いている頃だ(しかし、そもそもあらゆる事柄、状態を維持・継続することが苦手なので、忙しくなくとも部屋はいずれ汚くなっていた)。))

そうなってくると、壊れていたセンサを取り替えたみたいに、周囲のこともようやく感知出来てくるもので、つまり周囲と自分との違いも見えてくるようになる。

 

今年は、おめでたい席に招かれたり、報せを受けたり、或いは耳にすることが比較的あった。

それらは、僕と同世代、もしくはちょっと上の人からのものが殆どで、全然晩婚化なんて進んでいないじゃないかって思う程だった。

これは最近、身を以て知ったことだけれど、20代も半ばになってくると、家族、友人、職場、あらゆるシチュエーションで「将来はどうするの?」なんてことを聞かれるようになる。この問いは、仕事、家庭等の今後の生き方全てをひっくるめた将来設計についてのものだ。そして、その将来設計というものは前提として「パートナーがいること」が必要不可欠になってくるらしい。

僕はと言えば、行き過ぎてもう飽きてしまったハードオフを廻ったり、奥が深すぎてアートの域に達してしまったような楽器屋を訪ねたり、まるで実戦に適さない改造をギターに施してみたり、要は自分のことだけ、それも本当に直近の未来のことしか考えていない。いや、何も考えていないのだ。焦りも諦めも無い、良く言えばフラット、悪く言えばがらんどうの状態。

だから、周囲から前述のような問いが来る度にうんざりしてしまって、先のことなんて精々明日とか明後日くらいでいいのに、と考えてしまう。ただ、煙草を吸って、コーヒーを飲んで、大きな音でギターを鳴らして、たまにはくだらない遊びをして……そんな日々が続けばいいのにな、と思うけれど、そう思うこと自体が僕がまだまだ子供だということの確たる証拠なのだろう。

 

あまり友人の多くない僕にとって、職場以外での数少ない社会との接点は大半がバンドに占められている。

近年のバンドマンは、もう大抵の人が立派なもので、仕事も家庭もバンドも両立させている人が多いように見受けられる(これは僕の身近な人達のみを参照しているから、全てには適用されないと思う)。

僕の所属しているバンドも例に漏れず、独り身の人間は僕を含めて2人しかいない。平均的なバンド編成よりも母数が多いにも関わらずだ。ただ、それはそれで何か行動を起こさなくても良い大義名分を与えられたような気がして、ぬるま湯に浸かっているような安心感があった。

ところが、ここ2週間程、独り身という点で相棒のような親しみを感じていたそのもう1人が、躍起になって恋人を探し始めている。話を聞いてみると、どうにも気難しいきらいがあるけれど(もちろん、僕は彼のことを人間として好いている)、まずは行動してみる、その最初の一歩を彼は踏み出したのだ。

ひょっとしたら誤解を招いているかもしれないので、ここで書き留めておくと、僕は結婚していたり、恋人がいる人のことを尊敬している。とてもじゃないけれど、僕には出来ないことだからだ。そして、そうなるために行動を起こす人についても同様の気持ちを持っている。

だから、その彼についても、良い人と巡り会えたらとても素敵なことだと思う。人を愛したときには、人種とか国籍とか性別とか、そんなことはポテトチップスぐらいなものだってチバユウスケは唄っていた。そう思えば、ちょっとした欠点めいたものなんて笑えるくらい可愛いものだ。そもそも愛せるかどうかの問題はあるけれど。

 そうして、僕と彼との間で(僕が勝手に)始めた将来設計についてのチキンレースは、徐々にスピードを増してきている。

きっと僕は止まるポイントを見過ごして死んでしまうことだろう。こんな勝負は、負けを選んでそれでも息する方が、ずっとまともで、健康で文化的だ。

 

改めて自分を鑑みても、未だに何もかもが曖昧で、自分のことを自分が一番分かっていない現状だけど、せめて現実的な理想くらいはそろそろ見つけるべきなのかもしれない。無理にそうする理由は無いにせよ、しないに越したことも無いのだ。まずは部屋を綺麗にするところから、小さな行動から始めたい。そして、それならいっそ死んだ方がマシなんじゃないかってくらい、心底面倒にも思うのだ。