ABKLOG

白髪混じりのブルーズ

恒星を3つ目印に

シートに着席して1時間も経つと、頭の中で勝手に音楽が流れ出しました。

物語が終わりに近づくにつれ、既視感はどんどん強くなっていきます。どこかで出会っていたような、でも小説でも、漫画でも、映画でもない……。

スタッフロールを表示し切ったスクリーンは役目を終え、引き継いだように淡いオレンジが仕事を始めます。

ぞろぞろと出口に向かって歩き出す観客をしばらくぼんやりと眺めてから、「BUMP OF CHICKENだった」という感想がようやくぽつりと漏れた頃には、劇場に残っているのは僕一人だけになっていました。

 

(とても個人的な)2016年度ベストヒロイン暫定一位は「ビブリア古書堂の事件手帖」シリーズの篠川栞子でしたが、上半期も終わろうとしているこの時期にその圧倒的牙城を突き崩す存在が現れました。宮水三葉という超弩級ヒロインが登場する映画、それは「君の名は。」という作品でした。

 

日常的に映画館に通う習慣が僕にはありません。

年に1,2回も行けばそれはもうよくやった方で、そもそも映画という文化とは縁遠い生活をしています。

僕にとって映画を観るという行為はジェットコースターに乗るようなもので、スクリーンとスピーカーから発される暴力的なまでの情報量を一方的に身一つに浴びせられる、ちょっとした恐怖を伴うものです。嫌いなわけではないですが、決して得意でもありません。

大抵の場合、観終わった直後の頭の中は台風が去った後のようにしっちゃかめっちゃかで、内容についての感想は面白かったかそうでないか、くらいの小学生にも劣るものしか出てきませんし、それに部屋のモニターで観るならまだしも、映画館では一時停止も巻き戻しも有り得ません。小説や漫画のように、そこに自分のペースという概念が存在しないのも、きっと縁遠い理由の一つなのでしょう。

 だから今回、全く知らない作品が気になるのも我ながら珍しかったし、気まぐれにレイトショーへと向かった偶然も、今となっては完全なる正解でした。小学生にも劣る感想になりますが、つまるところ面白かったのです。

 

どう面白かったのかは雨後の筍のように乱立するレビューに任せるとして、僕が言及したいのはここ数日インターネットでも話題になっている(ように思う)「「君の名は。」はBUMP OF CHICKEN(もっと言えばCOSMONAUTくらいからこっちの)だよね」の一点のみです。

 

どこがそうだったのか、いざ説明しようとすると言葉は霧散してしまいますが、不思議なことに「君の名は。」とBUMP OF CHICKENの楽曲は、完璧なまでの合致を見せています(あくまで僕の中で)。

「voyager」,「flyby」,「三ツ星カルテット」,「宇宙飛行士への手紙」,「ゼロ」,「firefly」,「グッドラック」,「トーチ」,「ray」,「宝石になった日」,それこそ最新曲の「アリア」も–––––––––さっと映画の内容を思い出そうとしただけで、これだけの楽曲とともに映像が再生されます。きっと聞き返してみればそんな曲がもっとたくさんあることでしょう。

ともあれ、あたかもテーマソングとして流れていたかのように、同バンドの楽曲の数々は妙にしっくりくるのです。上手く言葉に出来ないのが非常にもどかしいですが、同じような感想を抱いた人も居るのではないでしょうか。

例えば、今現在同バンドの楽曲で言うと「三ツ星カルテット」が一番親和性が高いのですが(あくまで僕の中で)、歌詞を引用してみましょう。

 

“合図決めておいたから お互い二度と間違わない

 夕焼けが滲む場所で 待ってるから待っててね”

 “僕らはずっと呼び合って 音符という記号になった

 出会った事忘れたら 何回だって出会えばいい”

 

そこに特定のドラマ性は無いと感じていた、普通にいい曲だな〜なんて聞き慣れていた楽曲でも、映画を観た後だとまた別の意味を持つわけです。終盤の展開とこの歌詞なんてぴったりと当てはまりますよね。

単に僕が好きなだけ、というのも大きな理由の一つだと思いますが、それ以上に同バンドの楽曲が普遍性に富んでいることの証左になるのでは、とも思っています。

そして言わずもがな、「君の名は。」のようなストーリーとBUMP OF CHICKENの相性は最高です。BUMP OF CHICKENが好きで、「君の名は。」もちょっと気になるな〜なんて方がもし居れば、劇場に足を運ぶことを強くお勧めします。

 

前言撤回のような余談になってしまいますが、小説版の帯には主人公・立花瀧を演じる神木隆之介が「誰もが必ずこの物語に恋をするでしょう」と綴っています。

小説も読み、話の内容もバッチリ把握出来ていますが、「「君の名は。」は本当にBUMP OF CHICKENだったのか」を確認するために、いや、単純に「また観たい」という理由で僕はもう一度映画館に足を運ぶことでしょう。

どうやら僕もすっかりこの物語に恋をしてしまったようです。