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ABKLOG

白髪混じりのブルーズ

だってパーティー終わらない

押し込まれるようにして新幹線の自由席にどうにか座ると、「なぜ指定席券を購入しなかったのだろう」と考えてしまいます。

年に2回、この命題について思考を巡らせるのですが、こんな状況を年に2回も迎えてしまうこと自体が頭が悪いというか、考えなしここに極まれりといった感じです。

加えて今回は諸事情によりギターも持ち込んだため、周囲の乗客からの非国民でも見るかのような視線がチクチクと肌に刺さりました。

とは言え、帰省ラッシュ時の自由席列車なんて人権を奪われた車両に共に乗り合わせているわけですから、同じ穴のムジナ同士、せめて3時間くらいは仲良くしたいです。

 

考えなしから連想されることと言えば、今年の僕のお金の使い方です。機材への浪費大なるものがありました。

年末になると、1年を振り返ってのなんとなくの総括を書いているのですが、今年は機材関係で印象に残っていることについて触れてみようと思います。

 

1.ギターアンプを4台手に入れた

人にこの話をすると、大抵ドン引きされます。

そして「お前は小金持ちなのか、それとも頭がおかしいのか」とよく問われますが、おそらく後者だと思われます。前者についても言及しておくと、まずは手に入れたアンプの大半は安物であるということ、そしてこれだけアンプにお金を使ったということは、それ即ち何か他のことが犠牲になっているのです。それは交友費なり生活費等の、健康で文化的な最低限度の生活なのかもしれません。

なぜそんなにアンプが必要なのか、常設の機材ではダメなのか、という声が多少なりとも聞こえてくることがありましたが、僕ももう20代半ば。

「そろそろ必要になってくる頃じゃん?自分のトーンってヤツがよォ!」と精一杯自分を正当化した結果がアンプ4台です。しかしながら、やってるのは完全なるインディーな、もっと噛み砕いて言えば趣味でやっているようなアマチュアバンドで、なんならライブだってそんなにやれていないという現状です。

いまこの瞬間も「あのアンプ気になるんだよな〜、あのキャビもいいねぇ」なんて思い出していますが、来年の目標は倹約家になることです。「いまある機材で最高の音を出せてこそのギター弾きでしょうよ」と、心を騙さなきゃ保てない意地で立っています。

 

2.ハードオフ
田舎のドン・キホーテが地元民のホットスポットになっているように、僕にとってのハードオフはエデンそのものと言っても何ら差し支えないでしょう。

もうここ数ヶ月は暇が出来ると自動的にハードオフに足が向かうようになっています。

ハードオフは一口では語れないほどの魅力を内包していますが、一番の魅力はやはり「欲しいものを格安で見つけたときの掘り出した感」でしょう(とは言え、メンテナンスや保証等、後々のことを考慮すると楽器屋で購入した方が安上がりの場合が多いのもまた事実です)。

つい先日も、日々のディグりが功を奏し、相場の半額程度でfender bassmanを見つけ、それと同時に固く縛ったはずの財布の紐は盛大に弾け飛びました。ドラマのようなロマンチックな出会いは楽器屋ではなく、いつだってハードオフに転がっているのです。

他にも出自不明のギターやペダルを何個か買ってみたり、現物を確認するために愛知県の店舗まで行ってみたり(結局何も買わなかった)と、今年のハードオフに関する話は枚挙に暇がありません。

前述のbassmanは結果が追いついてきた例になりますが、最近では手段と目的が完全に入れ替わってしまい、気付けば結果ではなくその過程を重要視しています。なんなら掘り出し物が無くても、各店舗を見て回るだけでも楽しいのです。

ちなみに神奈川県内はほとんど、東京都内も西部のほとんどのハードオフを巡回しましたが、いい商品を取り扱っている店舗は、その後も良さげな商品が入ってくる傾向があるように感じます。逆もまた然りです。マイ本屋、なんて言葉が紙を扱う業界であるように、お気に入りのマイハードオフを見つけるのもおすすめです。

 

3.西田製作所

この1年で4台のアンプを手に入れたはいいものの、その大半はジャンクと化していたり、コンディションに不安があるものでした。

流石にアンプについてはまるで知識がないため、餅は餅屋だな〜と近場のリペアショップを探していると見つかったのが西田製作所さんです。まさか今年1年通してお世話になるとはそのときは露ほども思っていませんでした。つまり、入手したアンプは全てリペアに出したということになります。

僕は西田製作所さんにしかリペアを依頼したことがないため、他との比較が出来ませんが、「Marshall Black jubileeを現行のfender twin reverbみたいにしてくれ!」といった気が違ったオーダーにも親身になって応えてくれる良いお店です。現在も前述のbassmanをリペアしてもらっています。何だか、かかりつけ医のような存在ですね。

勿論アンプの修理だけなくモディファイや販売も行っているので、機材の調子が気になる方、音をどうにかしたい方などは一度足を運んでみることをおすすめします。

 

ほとんどがアンプとハードオフの話に終始する形となりました。

どれだけ口先で「来年は倹約家になる」と言ったところで、このお金の掛かる趣味に終わりはありません。

理想の音を鳴らせるその日まで、延々と機材に関する熱は冷めないままです。そして理想の音を鳴らせたと思ったその瞬間に、確かに掴んだはずのそれは両手をすり抜けていくことでしょう。

 パーティーは終わらずに永遠に続くように、多くのギター弾きがそうであるように、楽しみと苦しみが渾然一体となったこの果てのない道はきっと来年以降も、その先もずっと続いていくのだと思います。

なので、せめて来年は「安物買いの銭失い」にならないよう心掛けていきたいです。

 

恒星を3つ目印に

シートに着席して1時間も経つと、頭の中で勝手に音楽が流れ出しました。

物語が終わりに近づくにつれ、既視感はどんどん強くなっていきます。どこかで出会っていたような、でも小説でも、漫画でも、映画でもない……。

スタッフロールを表示し切ったスクリーンは役目を終え、引き継いだように淡いオレンジが仕事を始めます。

ぞろぞろと出口に向かって歩き出す観客をしばらくぼんやりと眺めてから、「BUMP OF CHICKENだった」という感想がようやくぽつりと漏れた頃には、劇場に残っているのは僕一人だけになっていました。

 

(とても個人的な)2016年度ベストヒロイン暫定一位は「ビブリア古書堂の事件手帖」シリーズの篠川栞子でしたが、上半期も終わろうとしているこの時期にその圧倒的牙城を突き崩す存在が現れました。宮水三葉という超弩級ヒロインが登場する映画、それは「君の名は。」という作品でした。

 

日常的に映画館に通う習慣が僕にはありません。

年に1,2回も行けばそれはもうよくやった方で、そもそも映画という文化とは縁遠い生活をしています。

僕にとって映画を観るという行為はジェットコースターに乗るようなもので、スクリーンとスピーカーから発される暴力的なまでの情報量を一方的に身一つに浴びせられる、ちょっとした恐怖を伴うものです。嫌いなわけではないですが、決して得意でもありません。

大抵の場合、観終わった直後の頭の中は台風が去った後のようにしっちゃかめっちゃかで、内容についての感想は面白かったかそうでないか、くらいの小学生にも劣るものしか出てきませんし、それに部屋のモニターで観るならまだしも、映画館では一時停止も巻き戻しも有り得ません。小説や漫画のように、そこに自分のペースという概念が存在しないのも、きっと縁遠い理由の一つなのでしょう。

 だから今回、全く知らない作品が気になるのも我ながら珍しかったし、気まぐれにレイトショーへと向かった偶然も、今となっては完全なる正解でした。小学生にも劣る感想になりますが、つまるところ面白かったのです。

 

どう面白かったのかは雨後の筍のように乱立するレビューに任せるとして、僕が言及したいのはここ数日インターネットでも話題になっている(ように思う)「「君の名は。」はBUMP OF CHICKEN(もっと言えばCOSMONAUTくらいからこっちの)だよね」の一点のみです。

 

どこがそうだったのか、いざ説明しようとすると言葉は霧散してしまいますが、不思議なことに「君の名は。」とBUMP OF CHICKENの楽曲は、完璧なまでの合致を見せています(あくまで僕の中で)。

「voyager」,「flyby」,「三ツ星カルテット」,「宇宙飛行士への手紙」,「ゼロ」,「firefly」,「グッドラック」,「トーチ」,「ray」,「宝石になった日」,それこそ最新曲の「アリア」も–––––––––さっと映画の内容を思い出そうとしただけで、これだけの楽曲とともに映像が再生されます。きっと聞き返してみればそんな曲がもっとたくさんあることでしょう。

ともあれ、あたかもテーマソングとして流れていたかのように、同バンドの楽曲の数々は妙にしっくりくるのです。上手く言葉に出来ないのが非常にもどかしいですが、同じような感想を抱いた人も居るのではないでしょうか。

例えば、今現在同バンドの楽曲で言うと「三ツ星カルテット」が一番親和性が高いのですが(あくまで僕の中で)、歌詞を引用してみましょう。

 

“合図決めておいたから お互い二度と間違わない

 夕焼けが滲む場所で 待ってるから待っててね”

 “僕らはずっと呼び合って 音符という記号になった

 出会った事忘れたら 何回だって出会えばいい”

 

そこに特定のドラマ性は無いと感じていた、普通にいい曲だな〜なんて聞き慣れていた楽曲でも、映画を観た後だとまた別の意味を持つわけです。終盤の展開とこの歌詞なんてぴったりと当てはまりますよね。

単に僕が好きなだけ、というのも大きな理由の一つだと思いますが、それ以上に同バンドの楽曲が普遍性に富んでいることの証左になるのでは、とも思っています。

そして言わずもがな、「君の名は。」のようなストーリーとBUMP OF CHICKENの相性は最高です。BUMP OF CHICKENが好きで、「君の名は。」もちょっと気になるな〜なんて方がもし居れば、劇場に足を運ぶことを強くお勧めします。

 

前言撤回のような余談になってしまいますが、小説版の帯には主人公・立花瀧を演じる神木隆之介が「誰もが必ずこの物語に恋をするでしょう」と綴っています。

小説も読み、話の内容もバッチリ把握出来ていますが、「「君の名は。」は本当にBUMP OF CHICKENだったのか」を確認するために、いや、単純に「また観たい」という理由で僕はもう一度映画館に足を運ぶことでしょう。

どうやら僕もすっかりこの物語に恋をしてしまったようです。

 

コーヒーはとうに冷めてる

 

明日はライブがある。

一通り曲のおさらいもして、諸々の準備を済ませばあとはもう布団に入るだけだ。あの曲のソロどうしようかなぁ、なんて懸念事項もあるけど、考えないほうが万事上手くいくというものだ。

眠る前に一服しようとコーヒーを淹れているとき、数時間前に友人に送った長文を思い出した。喫茶店の話である。

 

僕が喫茶店に足を運ぶとき、大抵は「空調の効いた快適な空間で腰を下ろして煙草が吸いたい」という理由がある。喫煙ができないスターバックスは真っ先に候補から外され、その時点で僕がスターバックスに抱いている希望は霧散してしまう。
スターバックスを表現する際にオシャレやら華やかやら、そんな言葉がよく使われるように思う。ガラスの向こうに見える大学生や、テラス席で井戸端会議を開く主婦の方々など、なるほどたしかに見た目がみすぼらしいことはなく、どこか自信さえ窺える。長らくお店を利用していない僕が端から見てもそう感じるわけだから、おそらく何か仕掛けがあるのだろう。ひょっとすると、彼らがレジで金銭と引き換えに受け取っているものはなんとかフラペチーノ、なんて砂糖の塊ではなくて、「自信」というやつなのかもしれない。
ここでスターバックスの対極ともいえる存在、ベローチェについて触れておく必要がある。ちなみに僕が一番利用する喫茶店でもある。
ベローチェの扉を開けたとき、あなたは何を思うだろう。きっとどうしようもない虚無感を覚えるはずだ。喫茶店チェーンの中では破格の一杯190円という値段で提供される泥水、店舗の半分近くを占める喫煙席、どうしようもないが仕方ないから生きているようなお客たち―――例えるならスターバックスユートピアベローチェはゲットーといったところだろうか。月とすっぽん、雲泥の差である。それにベローチェのあの老人率の高さは、店自体が介護施設としての側面を持っているのでは、と考えてしまうほどだ。ともあれ、何もかもが、あの輝かしいスターバックスとは真逆なのだ。
類は友を呼ぶ、とはよく言ったもので、オシャレな人の周りにはオシャレな人が集まり、どうしようもない人の周りにはどうしようもない人が集まるものだ。僕が次に「空調の効いた快適な空間で腰を下ろして煙草が吸いたい」と思ったとき、スターバックスを通り過ぎ、ドトールには一瞥もせず、ルノアールなんて知らない顔をして、吸い込まれるようにベローチェの扉に手を掛けることだろう。不思議というか当然というべきか、僕にとってはやはりベローチェが一番居心地が良いのだ。

 

閑話休題

「前々からその日の予定が埋まっている」という状況が好きじゃない。その日が近づくにつれ、心だけじゃなく体まで重くなるような気さえする。旅行なんてその最たる例で、どうしてそんな残酷なことを考えられるのだろう、と疑問に思うほどだ。それは明日バンドで行く米沢だって例外ではなく、どうしても気が滅入ってしまう。唯一の救いは明日は運転手が付いている、ということだ。気兼ねなく飲酒ができるのは僥倖だ。明日が最高でも最低でも、どんなライブになったとしても全部忘れてビールと一緒に胃に流しこめばいいわけだから、そこだけは助かった。

ただ、始まってさえしまえばこっちのもの、というか流れに身を任せていればつつがなく、それなりに楽しく1日を乗り切れることもこれまでの経験上知っている。要は気の持ちようで、いくらか前向きな考え方ができればずいぶん楽になるのだろうけど、20歳を超えたら性格の矯正なんてできないことも数年前から知っている。

 

支度をしながらぼんやりと明日のことを考える。「重なるジョウケイ」というタイトルを掲げてからもう5回目になる。どうにも先輩風を吹かしているような趣旨のイベントだが(1回目がどういうものだったのかは僕は知らないけど)、客観的に見て悪くないものだと思う。それに持続効果があるのか、カンフル剤で終わるのかは分からないけれど。そもそも見向きさえされない可能性だって多分にあるが、そのときはやはり泥酔するほかない。明日という近しい未来さえ不透明で、そこに関しては借りてきたい答えさえ落ちてはいないのに、それでも明日何かが変わるんじゃないか、なんて期待をしてしまう。そうなったら素敵なことだし、叶うことならその瞬間を目撃してみたい。

 

きっと明日の今頃、僕はいつも通り煙草をふかして笑っているだろう。その笑顔が引きつった作り笑いでなく、心からの笑顔であることを祈りたい。

 

曖昧な暮らし

 

前回の記事からまた長いこと日が空いてしまった。

継続は力なり、ということわざを昔から至るところで耳にたこができるほど聞かされ続けてきたというのに、何かを続けてこられた試しはない。多く見積もっても片手で足りるくらいだろう。

今まで手を出してきた趣味めいた物事は多々あれど、それらの多くは気付いたときには手元を離れていて、どこで落としたのか皆目見当もつかない。拾いに行こうにもどうやら時既に遅し。仕方がないから諦めるほかない。

どこでそうなってしまったのか、それを思い出すことは今となっては叶わないが、生活はいつからか、実生活はともあれ精神的にはまるで地に足がつかないものに変わってしまった。

空を飛ぶような暮らし、落下して地面に激突してしまわないように、空中で飛行機から飛行機に乗り換える綱渡り。地表には乗り捨てた飛行機ががらくたとなって鈍く光っている。

空は子どもにとって唯一息の出来る場所で、陸は大人が生活する場所だ。陸は大抵の場合は安寧で、ある意味では楽とも言えるが、一度でも降り立てば雑多な責任が降りかかってくる。とはいえ、空に比べれるまでもなくずっと健全で全うな場所であることに違いはない。時折、このまま落ちてしまおうかという考えが頭を過ぎるが、何故だか二の足を踏んでしまう。

しかしながら空に居続けるのも気が滅入るもので、いつだか身を投げ出したことがあった。そのときのことはよく覚えていないが、きっと無意識のうちに装着していたパラシュートが作動して、浮き上がってきた気球にでも命を救われたのだろう。そうして落ちる絶好のタイミングを逸して、それからまた空を飛ぶ日々だ。

やはり、真っ逆さまに落下したほうがいくらかマシだったかもしれない。心は強くならないままでも、いつまでも子どもでいられる道理にはならない。散らかした玩具を片付けてくれる大人たちはもういないのだ。そろそろ僕のいる空よりもっと高くへと上がって消えてしまうだろう。

ふと周りを見渡してみると、見知った顔は随分と減っていた。下に目を遣ると、どうやら彼らの大多数は地に足をつけて暮らすことを選択したようだ。上空から眺める彼らの表情は、それぞれに多少の違いはあれど、随分と穏やかに見えた。中にはやむなく着陸した者もいたようだけど。

たまに天気が良ければこうして周囲の様子を確認することもできるが、最近はどうにも暗雲立ち込める空模様だ。一寸先は闇、暗中模索の様相を見せている。代わりの飛行機も、見知った顔も見当たらない。燃料計はとっくに壊れているから、あとどれくらい飛べるのかも分からない。それでも、それ以外やることが何もないのだ。タンクが空っぽになるまで、飛び続ける以外にやることがない。

シートに身を預けて、いつか燃料が尽きて落ちるときのことを思い浮かべる。先のことなんてまるで想像がつかないけれど、不時着だけは御免被りたいなと思う。

 

命の重みと尊厳


目が覚めて部屋のカーテンを開けると、世界は一晩で白く塗りつぶされたようだった。年末年始に雪国である実家に帰省した折には終ぞ見ることのなかった量の積雪が眼前にあって、ついうなだれてしまう。

雪の降らない土地を求めてこの街へと越してきた僕の目論見は6年連続で外れている。フィクションの世界ならいざ知らず、現実に降る雪はどうにも好きになれない。降雪による諸々の面倒もそうだが、どうにも真綿で首を絞められるような、救いのない閉塞感に包まれるような心持ちになる。

支度を済まして自宅を出る頃には、雨で融け出した雪が平坦なアスファルトをさながらぬかるんだ泥道に変えていた。歩くだけで一苦労、という久しぶりの感覚に思わず舌打ちが出てしまう。けれども、今の僕にはこれくらいがちょうど良かった。いつも以上に労力を浪費して、身体を動かさねばならない理由があったのだ。

 

実家にあって自宅にないテクノロジーの一つに体重計がある。体重計―――それは僕らが健康で文化的な最低限度の生活を送るにあたって絶対的な基準になり得る欠かせないマストアイテム。多くの人がそのディスプレイないし針先が指し示す値に一喜一憂してきた、正確に事実を突き付けてくる存在。

一切の意思も感情も介在しない機械仕掛けの薄板に、ある意味では生殺与奪の権利を奪われているといっても過言ではない。

その数値は、生活を支配する。

 

年末年始の話をしよう。 

実家に帰省すると、家には誰も居なかった。どうやら全員出払っているようだ。それはつまり暖房器具が稼働していないことを示している。

部屋が暖まるまでの間、手早く身体を温める方法はないか、白い息を吐きながら考える。

ロシアでは寒いときウォッカを飲んで身体を温める、いつか聞いた話を思い出した僕はおもむろに冷蔵庫の扉を開け、容量一杯を埋め尽くす銀色の円筒の山から一本を取り出した。プシュッという気持ちの良い聞き慣れた音にまるで帰省したことを祝福されたような錯覚を覚える。しかし、これはその後の堕落を引き止める最初で最後の警告音であったことに僕はまるで気付いていない。

 

実家での生活は中々に快適だった。

本来の主を失ったキッチンはがらんどうとしていて、冷蔵庫の中身は大量のビールで溢れるばかりだったが、その代わりにたくさんのツマミやらお菓子類、保存食等が備蓄されていた。

こたつにすっぽりと身を入れ、右手に餅、左手にビール、眼前にはたくさんのツマミやお菓子類、食べたくなったら食べ、眠たくなったら眠り、飼い猫に素っ気ない対応をされては親戚の持ってきた日本酒で酔い潰れ、また食べる。それは緩やかに死んでいく街に突如として現れたユートピアそのものだった。

 

帰省最終日の風呂上り、ふと体重計が目に留まった。旧態依然とした生活ぶりな実家に似つかわしい旧型のそれに、帰省初日以来乗っていないことに気付く。実家での生活を振り返ると現在の体重が気になるのは事実だが、帰省期間中のほとんどをこたつで過ごした僕にとって風呂上がりに冷々たる脱衣所で体重計に乗るなど即ち狂気の沙汰である。しかし今を逃せば体重を計る機会は4ヵ月後の健康診断まで失われてしまう。葛藤の末に意を決して体重計に足を置く。ゆっくりと動き出した目盛りは数日前の数字を大きく超え、ようやく止まった赤い針が指すのはここ数年で僕が初めて目にする数値だった。

 

Uターンラッシュが始まった新幹線の乗車ホームは、穏やかな田舎の冬とは打って変わって、列車を待つ人々の苛立ちで溢れ返っていた。   

座れる可能性には目もくれず、到着したばかりの列車に足を進める。例年通り指定席券を購入しなかった僕が座席に着くことは許されない。それに加えて今年は余計な荷物も腹回りに携えている。せめてもの懺悔として3時間立ちっ放しの怒りのデスロードを甘んじて受け入れ、ユートピアでの生活は終わりを迎えた。

 

 

個人的今年の十選

Owletsにお呼び頂いた川越でのスタジオライブにて今年のバンド活動も終え、TVアニメごちうさ2期も最終回を迎えてしまった。

 

年も暮れである。

年末が差し迫ってくるにつれ、幼少期からの刷り込みのおかげか「今年もいろいろあったな」と振り返られずにはいられない。そしていざ振り返る段になって、本来思い出すべき事柄も忘れて、さして重要でもない出来事を懐かしんで新年を迎えることになるのは僕だけだろうか。

 

思い出すべきことを忘れたままで僕が振り返るのは今年グッときた10曲である。

選考基準として、購入後一定期間聞き狂ったものをグッと来たという判定にしている。また、今年リリースされたものからリストアップすることにした。そうでないと大半が7,80年代の歌謡曲で埋め尽くされてしまう。

せっかくなのでどこにグッときたのか、その理由も書き残しておくとともに公式の動画があるものはそれも紹介していきたいと思う。それでは主観と偏見に塗れた、支離滅裂でトンチキなコメントとともに十選を振り返ってみよう。

 

1.Moment/ジョゼ

1stフルアルバム「sekirara」収録の曲である。

耳を傾けたとき、浮かんできたのは冬特有の遠く高い空と誰もいない海辺だった。どこまでも青く、ただただ綺麗で、どこか無機質な情景が想像できる。「死ぬまで掬っては溢れるモーメント 集めて失い続けていこう」というフレーズの何と美しいことか。切なげながら芯のあるボーカルと、それに有機的に絡み合う演奏は好きな人なら悶絶ものであろう。僕は幾度となく繰り返し悶絶し、そして聞き終えた後にどうしてか少し寂しい気持ちになるのだ。

個人的には早朝の国道134号線を車を運転しながら聞くのが心地よい1曲である。

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2.PSYCHO-PASS(Movie Mix)・PSYCHO-PASS feat.AKANE(Movie Mix)/菅野裕悟

2曲だがこれで1セットという強引な解釈をさせてもらう。「PSYCHO-PASS」TVアニメシリーズ1期・2期でお馴染みの本作のメインテーマとも言えるトラックの劇場版用ミックスである。劇中では主に容疑者逮捕等の話が動き出すときに使用されており、これがまたとにかく最高にブチ上がるのだ。

サントラの強みは物語を容易に想起できる点にあるのではないだろうか。人声を介さないそれは、歌ものの比ではないように思う。この2曲を聞けば、僕はいつだってPSYCHO-PASSの世界を追体験できるような気がするのである。

さらにどっぷりとPSYCHO-PASSの世界観に浸かりたい場合は、夜の首都高辺りをグルグル回りながらこの2曲を無限ループするのがいいだろう。パナソニック製ETC車載器があればよりベターだ、最高にブチ上がること請け合いである。尤も、(比較的緩い方であるとはいえ)あんなディストピアな世界は御免被りたいものではあるが。

 

3.Hello,world!/BUMP OF CHICKEN

TVアニメ「血界戦線」OPである。 

改めて思うのは、このバンドは作品に曲を寄せるのがべらぼうに上手い。ここまで来るともはや匠の域で、それはまさに職人芸という他ない。

(個人的には一番思い入れのある)TALES OF THE ABYSSというRPGの主題歌も担当していた同バンドだが、その曲でもバンドらしさは損なわず、且つ作品のテーマを見事に表現していた。10年程前、その曲の歌詞で盛大にネタバレを食らったことを今でも鮮明に覚えている。ともあれ、その手腕は今作でも大いに発揮されているというわけだ。

サントラ楽曲の強みが物語を想起させる点にあるならば、歌もの楽曲の強みはリスナー側(しいてはその物語に触れているとき)の記憶を想起させる点ではないだろうか。

血界戦線のあらすじについては各自で参照して頂くとして(TVアニメと漫画原作ではストーリー展開が異なる部分がある)、この曲は主人公レオナルド・ウォッチと次元を隔てた僕らとが共有する覚悟の歌ではないか、と思う。

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4.シュガーソングとビターステップ/UNISON SQUARE GARDEN

続いて血界戦線のEDテーマである。 

最近のユニゾンに関しては人気アニメの影にユニゾンあり、もしくは田淵智也あり、くらいにアニメタイアップをしているイメージがある(あくまでもイメージ)。

前述のOPが覚悟の歌とするならば、こちらは劇中の舞台であるヘルサレムズ・ロッドで過ごす主人公たちの等身大の姿を描いた曲のように思う。いくら超人的な力を持った彼らでも泣いたり笑ったり、そこに普通の人間との差異は何もない。

「生きてく理由をそこに映し出せ」という一節は、画面の向こうの主人公たちだけでなく現実に生きている僕らの背中をも押してくれる。

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5.SUNNY DAY SONG/μ's

ラブライブ!-school idol movie-でお披露目された曲で、言うなれば劇中で一大シーンを築き上げたインディ・ヒーローたるμ'sのスクールアイドル界における金字塔的楽曲である。僕はこの曲とAngelic Angelを聞きたいがために3回劇場に足を運んだと言っても過言ではない。

この曲の一番の魅力とは圧倒的なまでに溢れ出る希望ではないだろうか。ネタバレになってしまうが、劇中でこの曲を歌っているときμ'sの解散は既に決まっている。なのに悲しさとか寂しさとか、そういう湿っぽさはこの曲からは微塵も感じられない。全てを受け入れた上でひたすらに未来を歌う、これを希望と言わずして何と言うのだろう。

蛇足になってしまうが、2Aメロの「三歩目は大胆に」でローアングルで映し出されることりの脚と、落ちサビの穂乃果ソロの「Ah!」の最後のリバーブの掛かり具合に妙な色っぽさを感じてしまう。

 

6.STONEFLOWER/中田裕二

年を重ねるにつれ色気を増していく中田御大による最新の歌謡曲である。椿屋四重奏時代から追い続けているが、曲中で描かれる登場人物の心情の機微、楽曲の構成力、そして拭い切れない喪失感と、それでも何かを得ようとする、その様の描き方は他と比べ群を抜いているように思う。時代錯誤感も群を抜いている。

この曲も同様だ。加えて、どこまでも孤高で、陰がある。不思議と言うべきか当然と言うべきか、それはときに現代を生きる僕らとリンクする。

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7.バラライ/GRANRODEO

ベストアルバム「DECADE OF GR」収録の曲である。

僕はTOKYO MXの深夜帯の番組をそこそこ見るのだが、CMに入る度にこの曲が流れることが多分にあった。「ま~たKISHOWさんですか~」とあまり真剣に聞かずぼんやりと流し見する程度で、なんなら繰り返し流されるそれに少し苛立ちさえ感じていたくらいだ。

ある日、渋谷を歩いているときにふと顔を上げると、街頭ビジョンにそのCMがでかでかと映し出されていた。何の嫌がらせだろうと思った。しかしながら僕はこの曲を購入してしまう。

昔からよく言うものだ、愛の反対は憎悪ではなく無関心だと。興味が無いのならわざわざ気に留めさえもしないのだ。つまりこれは、気に食わないと言いながらもこの曲のことがどこか気になっていたという証左に他ならない。

曲に関して言えば、ちょっと力抜いて楽観的に生きてこうぜ、というメッセージを感じられる、聞いていて気持ちのいい曲である。

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8.FULLBODYのBLOOD/The Birthday

8thアルバム「BLOOD AND LOVE CIRCUS」の1曲目を飾る曲である。

中田御大が時流に逆行しているというならば、このバンドも大概である。しかしながら、このバンドがいなかったなら僕は今頃日本のロックンロールを聞いてはいなかっただろう。

ひたすら1フレーズ、1グルーヴで構成されるこの曲はセッション的な要素を大いに感じる。......身も蓋もないことを言ってしまうと、僕はこの曲がただただ好きなだけなのだ。そこに取ってつけたような理由は必要ないとさえ言い切れる。

それでも言わせてもらえば、より深みを増したチバユウスケの声、フレーズごとの的確さ、音色、どきりとする歌詞、どこを取ってもこの上なく最上級なロックンロールである。

ミーハーと呼ばれても仕方のないことかもしれないが、この時代にこのロックンロールが存在する、それだけで僕はとてつもなく嬉しくなり、ギターを弾きたくなるのだ。

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9.打ち寄せられた忘却の残響に/TECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUND feat,大竹祐季

TVアニメ「櫻子さんの足元には死体が埋まっている」EDである。

僕は原作には目を通していないのだが、TVアニメを見るに「過去に囚われたモノたちへ贈る物語」らしい。

OPが未来を向いた曲であるのに対し、こちらは過去に視線を向けた曲のように思う。劇中で登場人物たちが囚われる過去への胸中が凝縮されているかのようだ。

儚く綺麗で、しかし底の見えない深淵から流れ出すその残響に触れることは決して叶わない。

非常に美しい曲だと思う。

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10.ノーポイッ!/Petit Rabbit 's

TVアニメ「ご注文はうさぎですか⁇」OPで、もうこの曲に関しては言うことなしである。

4:04の尺の中、人声のないパートは30秒間ほどの間奏のみ(厳密にはイントロの歌い出し後に1秒ほど、アウトロで2秒ほど人声のない箇所がある)、ときには合いの手を入れてまで歌が途切れることを許さない徹底ぶりは、僕らを木組みの家と石畳の街というユートピアへと誘う現代の般若心経そのものである。

あぁ^~心がポイポイするんじゃぁ^~、投げ出さない、ポイって今日を投げ出さないんじゃぁ^~

 

 

 

改めて振り返ってみると、なかなかどうしてアニメ関係に寄ってしまっているのが分かる。

来年は、聞くジャンルの幅を広げていきたいものだ。

 

 

 

 

 

 

木組みの家と石畳の街で暮らしたい

今年の5月にブログを始めたのが酷く遠くに感じる。最後に文章を書いたのは7月のsceneツアーファイナル時に頒布したパンフレットに掲載した、文字数だけは立派なアレ、あのときである。

原本を残していないため何を書いたのかを詳細に思い起こすことは今となっては叶わないが、内容の半分近くをラブライブ!に関する記述で埋めてしまったことだけは鮮明に覚えている。バンドのパンフレットだというのにだ。

思い返せば5月下旬から7月上旬にかけての一月半はツアー(ライブ自体は5本しかやってないけど)とラブライブ!劇場版が同居する身もただれるような熱い期間であり、その季節が過ぎたころ、何か文章をしたためる等のエネルギーを要する作業が不可能だったのは至極当然のことだったのである。

それ以来すっかりブログの存在を失念してしまい、凍えるような寒さに夏が恋しくなっていたとき、筆を置きっ放しにしていたことを思い出した。そして今こうして書き綴っている次第である。

 

キーボードを叩きながら考える「なぜこんなことをやっているのか」という問題は袋小路に入ってしまった。

このブログは、例えば料理の美味しいお店や暮らしの助けになるような情報を掲載するものではなく、本来は自分の中で折り合いをつけねばならないものを垂れ流すだけの内容だ。誰に頼まれたわけでもないのにそれをやる成人男性というのは、少し俯瞰すれば些か応えるものがある。

しかしながら、考え込んだところで思考は堂々巡りするばかりで、つまるところ役に立たないものは愛するほかはないのだ。

 

それでもどうしてもやりきれなくなったとき、僕は1つの作品を視聴する。今季絶賛放映中のTVアニメ「ご注文はうさぎですか?」である。

癒し、可愛いといったそんな言葉なんかはとうに飛び越えた、もはや愛だ。見る前に何か特別なことをする必要はなく、身体をモニターの前に投げ出すだけ、ただそれだけでいい。その中毒性は永遠に逃れられないものであり、TVアニメから入った僕のようなにわかでも存分に楽しめる懐の深さは、山より高く海より深い慈愛に満ちている。

日常ともファンタジーともおぼつかない緩すぎる世界観に脳内を液状化させられた後に、遠い遠い、決して行きつくことのできない木組みの家と石畳の街に思いを馳せ、思考を停止して僕は眠りに就くのだ。